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2018年03月21日

センセイにこれ以上鞭は振れない


大きな教育改革が起きようとしています。それを第3次教育改革と言う人もいます。

第1次は学制の発布、第2次は戦後の教育改革です。それに匹敵する改革です。

まずは授業時数です。2020年度から3〜6年生は年間35時間(週1時間)増えます。6年生で年間980時間になります。授業時数増は30年ぶりです。今でも多忙な学校が更に多忙になることは間違いありません。

時数増だけ言うと、土曜日にも学校があった平成14年以前は1015時間以上も授業がありました。もちろん、土曜日も昼まで勤務していました。ですから、今よりも時間は足りなかったかもしれません。

では、何が先生方を苦しめているのでしょうか?

それは指導内容の増加、指導方法の示唆、結果の精度です。

道徳が教科になります。外国語活動が3・4年、外国語科が5・6年から始まります。

指導方法では、アクティブラーニングで行うように示されています。

そして、学力・体力向上の結果を数値で示すことが求められています。

不登校をなくし、イジメの調査をしっかり行い早期解消に努めなくてはなりません。

プログラミング教育、がん教育も導入されます。

学校運営ではコミュニティ・スクールも進んでいきます。

学校の内部は完全に飽和状態です。休職者も増え、その補填は校内でまかなわなくてはなりません。

指導力に不安を抱える教員もいます。すると学級が崩壊します。そのフォローも自校で行います。

こんな壊滅的な状態にあっても、管理職は鞭を振ってやらせなくてはならないのです。

こんなことをやらせるために、私は教職を続けているのではないのです。

子供たちの学ぶ権利を保障し、働きがいのある職場を創ることが私の想いだったはずなのに……。

それができないのなら、働く意義がないのです。  


Posted by nori910 at 15:11Comments(0)

2018年03月10日

校長と教頭は雲泥の差



学校には、校長、教頭、主幹教諭、教諭がいます。通常、主幹教諭以上が管理職と呼ばれています。
それぞれ試験を受け、昇任していきます。

シンプルなモノの見方をすると、校長が一番偉く、その次に教頭、主幹教諭、そして一般の先生と続くように見えます。

しかし、実際は校長と教頭の間には、雲泥の差があります。

まずは、勤務時間です。人にもよりますが、校長の多くは、8時の勤務時間開始少し前に出勤します。そして、4時30分の退勤時刻を過ぎれば退勤します。勤務時間は8時間程度です。

それに比べて教頭の勤務は、朝一番に出勤して、夜一番最後まで学校にいます。朝6時頃から、夜9時頃まで勤務している教頭もいます。勤務時間は14時間を越えます。ここまで極端ではないにしろ、教頭は自分のタイムテーブルで働くことができません。先生方が早く出勤すれば、それより早く来なければなりませんし、校長がいつまでも退勤しなければ自分が退勤することもできません。

土日に学校を開放しなくてはならないことがあると、鍵の管理はまず教頭です。

仕事についても差があります。校長は最高責任者ですから、学校の取組の決定権を握っています。教頭はさまざまな取組を校長に提案しますが、「そんなことはしなくていい!」「必要なし!」と却下されれば、それで終わりです。

また、「保護者向けの文書」「先生方向けの文書」「教育委員会への報告文書」「各種計画書」はすべて教頭が作成し、校長は確認するだけです。中には、学校便りに挨拶文や経営計画まで教頭に作らせる校長もいます。

そういう校長のほとんどが、「校長になることがゴール」の人です。教員人生の目標を達成したので、あとはつつがなく定年を迎えたいのです。

「校長になることはスタートだ」と私は考えます。学校を創っていくというスタートに立つということです。

残念ながら、なかなかそのチャンスが巡ってきません。スタートに立てなければ、何も始められないことに改めて気付きました。だから、私は違う立場で教育のイノベーションを起こすためのスタートに立とうと考えたのです。


  


Posted by nori910 at 17:41Comments(0)

2018年03月09日

経営方針が定まらないトップは補佐しきれない



どんな学校を創るのか
どんな力を子供につけるのか
どんな教員を育てるのか

学校の経営方針を示すことができるのは校長だけです。

学校の使命=ミッション
目指す学校像、児童像、教師像=ビジョン
目標達成のための方策=ストラテジー

これらをしっかり示し、同じ方向を向いて仕事をするようにベクトル合わせをすることが必要です。

何がしたいかハッキリしない校長。
方策がブレブレで、先生方に反論されたら方策を変えてしまう校長。
責任を逃れる校長。

教頭は、校長を補佐する立場にあります。
そして、校長の意を対して仕事をしなくてはなりません。

しかし、校長の意が伝わらなければ仕事はできません。
そして、校長の意のとおりに動いても、突然方針転換し、結果的に教頭が悪者になることもあります。

政治家と秘書じゃあるまいし、命を賭けて補佐する価値もないことに気が付きました。

仕事に対するモチベーションが下がったのが一番の辞める理由です。  


Posted by nori910 at 20:09Comments(0)

2018年03月03日

子供に注意していることを自分が守れない教員



子供に早く寝なさいと言って夜ふかししている大人。
無駄遣いはしてはいけませんと子供に注意しているのに、衝動買いをする大人。

確かに、子供は子供、大人は大人と都合よく区別することがありますし、それは当然のことだと思います。

しかし、学校はそうであってはならないと思うのです。

子供に教えていることと、自分の働き方があまりにも違う教員が多いのです。

「課題は○日までに必ず提出しなさい!」
と言っている先生が、当たり前に提出期日を守らない。催促すると言い訳をする。じゃあ貴方は子供が課題を出せない理由をしっかり聞いて認めてやっていますか?

「自習中は私語は禁止です!」
と言っている先生が、放課後の職員室中に聞こえるような声で、くだらない話をする。他の先生が仕事をしているのも構わずに。

「いじめはゼッタイにだめ!」
と言っている先生が、正義感という名のもと、他の先生を集団で攻撃する。教頭の私がある教員の年休を認めなかったという事実無根な話が作り上げられ、職員評価にも書かれ、年度末反省会議でも糾弾され、挙げ句の果には徒党を組んで校長に直談判に行く。これはれっきとしたいじめですよ。当事者同士の感じ方の違いかもしれませんが、周りが騒ぐ問題でもありません。
こんなことが実は日常的に起こっているのが職員室です。陰でこそこそ話をしたり、他人の噂を流したり……。子供たちに「仲間はずれはダメ」と教えていませんか?

「先生の言うことを聞きましょう!」
と言っている先生が、主任や管理職の言うことを聞かない。自分勝手に仕事をし、組織的な行動を取らない。学級にそういう子が一人はいませんか?そういう子に何と言いますか?

「さっき言いましたよ、話を聞いてないんですか!」
と言っている先生が、職員会議で確認されたとおりに動かない。計画通りに実行しない。そんなときに必ずこう言います。「臨機応変に対応しました。」

とにかく、先生の働き方には矛盾を感じることだらけです。それに対して一つ一つ指導をしなくてはなりません。しかし、指導をすればするほど、いじめに遭います。そんな中、心も体もボロボロになりながら働くことは限界です。
  


Posted by nori910 at 10:01Comments(0)

2018年03月01日

認められない辛さからの逃避



辞める理由には、ポジティブな理由とネガティブな理由があります。

それらがいくつも重なり合い、退職するという行動へと繋がりました。

私の現在のポジションは教頭。
学校で一番目立たず、それでいて一番仕事が多いポジション。

多忙さに疲れ果てる教頭は多いですが、私は仕事の量については問題ありません。どちらかというと仕事が多い方がモチベーションが上がります。

では、何が私の心を蝕むか。
それは、誰からも仕事を認められないことです。

もちろん、誰かに認められるために仕事をしているのではありません。
ある方が
「教頭の仕事は仏様の指」
だとおっしゃいました。人は仏様の手のひらの上で動かされているもので、それが仏様が動かしているとは誰も気づかない。そういう仕事が教頭の仕事だと教わりました。

それはわかっていても、部下からも感謝されない、校長からも認められない、この辛さは耐えがたいものがあります。

同じことを一般教員がすれば、先生方からは感謝、校長からは高い評価を受けます。

教頭はそれもじっと我慢しなくてはならないのでしょうか。押しつぶされた感情は、やがて、心や体を蝕みます。

まだ立ち上がれる力があるうちに、この辛さから抜け出そうと決意したのです。  


Posted by nori910 at 21:40Comments(0)